実の父親が他界したあの日
ここまで育ててくれた両親への感謝
過去を乗り越えて保険を伝え続ける彼の想いとは

入江 睦Atsushi Irie

1988年10月13日生まれ。埼玉県出身。
大学卒業後は埼玉りそな銀行へと就職し、後に外資系金融機関へと転職。
自身の家庭で起こったつらい過去を胸に、保険屋としてその想いを多くの人へ伝え続けている。

入江 睦Atsushi Irie


1988年10月13日生まれ。埼玉県出身。
大学卒業後は埼玉りそな銀行へと就職し、後に外資系金融機関へと転職。 自身の家庭で起こったつらい過去を胸に、保険屋としてその想いを多くの人へ伝え続けている。

PROFILE

大学卒業後は埼玉りそな銀行へと就職。30歳という節目で外資系金融機関へと転職し、現役で活躍中。これまで彼が歩んできた人生を追うとともに、なぜ彼が保険屋として働き続けるのか、なぜ保険を伝え続けたいと思うのか、彼の仕事に対する在り方をここにご紹介させていただこう。


はじめに


はじめに

「保険」は万が一に備える保障として、
そして資産を形成していくためにとても大切なものですが、
その重要性は多くの人が認識できていません。
自分には関係ないと思っていたり、必要ないと思っている方が大勢いらっしゃいます。

僕も初めはそう思っていました。しかし、僕の大切な人が亡くなってしまったあの日から時が経ち、
保険というものをしっかりと知ってから、強く後悔しました。
万が一のことは本当にいつ起こるかわかりません。
僕の実体験を綴ったこのインタビューページから、少しでも僕に興味を持っていただき、
世間のイメージに捉われない本当の「保険」というものがお伝えできれば幸いです。


「保険」は万が一に備える保障として、そして資産を形成していくためにとても大切なものですが、 その重要性は多くの人が認識できていません。 自分には関係ないと思っていたり、必要ないと思っている方が大勢いらっしゃいます。

僕も初めはそう思っていました。しかし、僕の大切な人が亡くなってしまったあの日から時が経ち、 保険というものをしっかりと知ってから、強く後悔しました。 万が一のことは本当にいつ起こるかわかりません。 僕の実体験を綴ったこのインタビューページから、少しでも僕に興味を持っていただき、 世間のイメージに捉われない本当の「保険」というものがお伝えできれば幸いです。



実の父親が他界


実の父親が他界

育ててくれた両親の背中




僕は両親から「生き方」を学びました。高校2年生の時に父親が他界し、
それからは母親が僕と兄をここまで育ててくれたんです。
僕の父親は自分がやりたいことをやって他界した人間だったので、
その生き方ってとても素敵だなと思っていました。
そして母親は、父親が亡くなってから自分のやりたいことをずっと我慢して、
僕や兄、家族のために自分を犠牲にして、僕たちをここまで育ててくれました。
そんな母親から僕は、誰かのために生きたり、誰かのために尽くす姿勢を学んだんです。
僕はそんな両親の背中を見て育ち、今でもとても尊敬しています。




僕は両親から「生き方」を学びました。高校2年生の時に父親が他界し、 それからは母親が僕と兄をここまで育ててくれたんです。 僕の父親は自分がやりたいことをやって他界した人間だったので、 その生き方ってとても素敵だなと思っていました。 そして母親は、父親が亡くなってから自分のやりたいことをずっと我慢して、 僕や兄、家族のために自分を犠牲にして、僕たちをここまで育ててくれました。

そんな母親から僕は、誰かのために生きたり、誰かのために尽くす姿勢を学んだんです。 僕はそんな両親の背中を見て育ち、今でもとても尊敬しています。

人のために尽くす喜び

人のために尽くす喜び

塾講師の仕事から学んだこと




高校を卒業してからは上智大学に入学し、当時は塾講師のバイトを4年間していました。
母親からの影響もあってか、人のために尽くす、人の役に立てる仕事をしたいなと考えていたんです。
塾講師での経験もあり、就職の時期には銀行かコンサルティングの仕事をしたいと思っていました。
実は塾講師の仕事もコンサルティングと似たところがあって、
塾講師とは子どもたちの今の学力と行きたい学校とのギャップ、
つまり理想と現実とのギャップを埋めてあげる手助けをする仕事なんです。

現状を元に目標を決め、子どもと二人三脚で一緒に頑張って、
そして目標を達成して2人で喜べるという状況がすごく楽しくて、
自分がアドバイザーとして子どもが将来なりたいものに一緒に頑張っていける環境がとても楽しかったです。
そのために自分もめちゃくちゃ勉強したし、次の授業の予習復習で
自分の学業が疎かになってしまうこともあったんですが、それでも僕は塾講師のほうが重要でした。
とてもやりがいがあって楽しい仕事でした。




高校を卒業してからは上智大学に入学し、当時は塾講師のバイトを4年間していました。 母親からの影響もあってか、人のために尽くす、人の役に立てる仕事をしたいなと考えていたんです。 塾講師での経験もあり、就職の時期には銀行かコンサルティングの仕事をしたいと思っていました。 実は塾講師の仕事もコンサルティングと似たところがあって、 塾講師とは子どもたちの今の学力と行きたい学校とのギャップ、 つまり理想と現実とのギャップを埋めてあげる手助けをする仕事なんです。

現状を元に目標を決め、子どもと二人三脚で一緒に頑張って、 そして目標を達成して2人で喜べるという状況がすごく楽しくて、 自分がアドバイザーとして子どもが将来なりたいものに一緒に頑張っていける環境がとても楽しかったです。 そのために自分もめちゃくちゃ勉強したし、次の授業の予習復習で 自分の学業が疎かになってしまうこともあったんですが、それでも僕は塾講師のほうが重要でした。 とてもやりがいがあって楽しい仕事でした。

外資系金融機関へと転職

外資系金融機関へと転職

偽りのないお客様第一主義

大学を卒業してからは埼玉りそな銀行へと就職をしました。
就職先に銀行を選んだのも、コンサルティングをしたかったからです。
僕は特に法人様を担当させていただくことが多く、資金繰りや資金調達だったり、
財務内容の改善や不動産の引き合わせ、リースなどマルチに仕事をしていました。
そして6年2ヶ月という年月を経て、今の会社に転職をしました。

今の会社に転職して本当に良かったと思います。
こんなにやりがいがあって、こんなに人のために働ける仕事があるんだと感じました。
完全フルコミッションの厳しい世界ではあるのですが、
前提として、お客様の役に立つ、お客様第一主義の観点が、
これまでにないほど、偽りなく実践できている会社だと思います。

大学を卒業してからは埼玉りそな銀行へと就職をしました。 就職先に銀行を選んだのも、コンサルティングをしたかったからです。 僕は特に法人様を担当させていただくことが多く、資金繰りや資金調達だったり、 財務内容の改善や不動産の引き合わせ、リースなどマルチに仕事をしていました。 そして6年2ヶ月という年月を経て、今の会社に転職をしました。

今の会社に転職して本当に良かったと思います。 こんなにやりがいがあって、こんなに人のために働ける仕事があるんだと感じました。 完全フルコミッションの厳しい世界ではあるのですが、 前提として、お客様の役に立つ、お客様第一主義の観点が、 これまでにないほど、偽りなく実践できている会社だと思います。

父親が他界したあの日

父親が他界したあの日

保険の重要性とは

今でこそ保険の必要性というものを色んな方にお伝えしていますが、
これまでは僕自身、特に気にしたことがなく、父親が亡くなった時にも保険には入っていませんでした。
僕が働き始めてから母親と保険の話になり、
「お父さんは保険に入ってなかったんだよ、おばあちゃんから大きなお金を借りて生活していたんだよ」っていう話を聞いたんです。
その時、なんで保険に入っていなかったんだろう、保険に入っておけばよかったはずなのに、
誰かがきちんと話をしてくれなかったんだなってすごく思いました。
そのことがあってから僕は保険の重要性というものを認識できたんです。

今でこそ保険の必要性というものを色んな方にお伝えしていますが、 これまでは僕自身、特に気にしたことがなく、父親が亡くなった時にも保険には入っていませんでした。

僕が働き始めてから母親と保険の話になり、 「お父さんは保険に入ってなかったんだよ、おばあちゃんから大きなお金を借りて生活していたんだよ」っていう話を聞いたんです。

その時、なんで保険に入っていなかったんだろう、保険に入っておけばよかったはずなのに、 誰かがきちんと話をしてくれなかったんだなってすごく思いました。 そのことがあってから僕は保険の重要性というものを認識できたんです。

自分にしか伝えられない

自分にしか伝えられない

保険を伝え続ける使命感

保険というものは、多くの人が興味もなく、
自分ごとに捉えられず、関係ないと思いがちなんです。
でも実際、いつ何があるか本当にわかりません。

僕は自分と関わるすべての人たちの人生の手助けや、背中を押せる存在は自分だと思っています。
だからこそ身近な人に真っ先に保険というものを伝えに行ったし、
保険を伝える後ろめたさも一切ありませんでした。
むしろ自分が伝えなくて、誰が友達や大切な人たちに伝えていけるのか、という想いで仕事をしています。

僕じゃなかったら話を聞かない人はたくさんいると思うし、
その方に正しい保険の話を届けられるのは僕にしかできないと思っています。
その使命感はとてもあります。

保険というものは、多くの人が興味もなく、 自分ごとに捉えられず、関係ないと思いがちなんです。 でも実際、いつ何があるか本当にわかりません。

僕は自分と関わるすべての人たちの人生の手助けや、背中を押せる存在は自分だと思っています。 だからこそ身近な人に真っ先に保険というものを伝えに行ったし、 保険を伝える後ろめたさも一切ありませんでした。 むしろ自分が伝えなくて、誰が友達や大切な人たちに伝えていけるのか、という想いで仕事をしています。

僕じゃなかったら話を聞かない人はたくさんいると思うし、 その方に正しい保険の話を届けられるのは僕にしかできないと思っています。 その使命感はとてもあります。

伝え続ける原動力

伝え続ける原動力

誰かにつらい思いをしてほしくない

保険というものは人生を変えます。僕の家庭はとても貧しい家庭で、そんな時に父親が他界してしまいました。
どれだけ少額の保険でも、積み重ねていくことで何千万という保険が降りるわけなので、
それがあると家族の人生が一変すると思います。
たった数千円、1年間でもたった数万円です。もし万が一のことが起こってしまったら、
必要な時には入ることもできず、どれだけほしいと思っても手に入らないんです。

僕の仕事は人の人生を変えられる仕事です。
そんな仕事だからこそ、自分の大切な人に伝えて、
その人が大切にしている人にまた伝えて、という形で広げていきたいと思っています。

自分の母親のような思いをする人が1人でもいなくなればいいなと、
つらい思いをする人が1人でもいなくなればいいなと本当に思います。それが僕の原動力です。

保険というものは人生を変えます。僕の家庭はとても貧しい家庭で、そんな時に父親が他界してしまいました。 どれだけ少額の保険でも、積み重ねていくことで何千万という保険が降りるわけなので、 それがあると家族の人生が一変すると思います。 たった数千円、1年間でもたった数万円です。もし万が一のことが起こってしまったら、 必要な時には入ることもできず、どれだけほしいと思っても手に入らないんです。

僕の仕事は人の人生を変えられる仕事です。 そんな仕事だからこそ、自分の大切な人に伝えて、 その人が大切にしている人にまた伝えて、という形で広げていきたいと思っています。

自分の母親のような思いをする人が1人でもいなくなればいいなと、 つらい思いをする人が1人でもいなくなればいいなと本当に思います。それが僕の原動力です。

Photo and Written by Junya Okubo

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